【経験談】絶対安静の生活とは?⑧〜大学病院への転院編〜

こんにちは、まかろんです。

今日は当初出産予定だったクリニックに入院してから大学病院への転院をすることになった際のことを書いていきます。

【とうとうこの日が】転院の決め手となった出来事

クリニックに入院し、約12日目の朝、ずっと続いていた少量の出血の量が増えてしまいました。

急いで看護師さんに状況を報告し、先生に診察していただきました。

先生を待つ間、再度NST(胎児心拍モニタリング)を行いました。少し張りが多く計測され、この時点で私もうっすらと大病院への転院が頭をよぎりました。

診察の結果、

子宮口はまだ開いていないけど、子宮頸管長も15mm前後。
クリニックで投与できる点滴の量がMAXなので、残念だけど大きな病院に移りましょうか。
36週までいけば、またクリニックに戻っておいで。

とのこと。

今まで散々ここ(クリニック)で産みたい!と伝えていた私もこればっかりは無理だなとすぐに諦めがつきました。

残念だけど…しょうがないか。。。
先生、粘ってくれてありがとうございます(泣)
また絶対帰ってきます!

【まさかの救急車】すぐさま搬送

そうと決まれば、すぐに近隣のNICUやGCUのある大きな2つの病院を紹介されました。

1つは、今入院しているクリニックから車で10分ほどの大学病院。当時コロナ禍により、病室での面会は30分に限られているとのこと。立ち会い出産は不可でした。

もう1つの病院は、今入院しているクリニックから約20分ほどのところにある大きな病院。こちらは新しく綺麗な病院ですが、同じく面会や立ち会い出産は不可。

綺麗な病院に行きたかったですが、家族のことも考えて家から近い大学病院の方を選択しました。

主治医の先生曰く、出身の大学病院らしく、

治療方針は同じなので転院しても同じ薬で点滴の量が増えるだけだから安心してね

とのこと。

家族に連絡したりしている間にすぐに救急車が到着しました。急すぎて身の回りのものをまとめる時間もなく、せめてもの貴重品だけを持ってすぐに担架に乗せられ、救急車で大学病院まで運ばれました。

大学病院までは先生も一緒に乗ってくれ、不安げな私をずっと励ましてくれました。

車内では救急隊員の方から名前や住所、連絡先などを聞かれました。
パルスオキシメーター(動脈血酸素飽和度や脈拍を測るやつ)を取り付けられ、いつの間にか重症患者のような有様に。
やっぱり救急車って早いですね。信号も関係なくスイスイ走るので、通常の半分くらいの時間で着いたように感じました。

ちなみに入院部屋に残していた荷物は後から親が持ってきてくれました。

まさか救急車で運ばれるとは思ってなかったからびっくり…

【転院完了!】大学病院到着

この日は土曜日。たまたま親も仕事が休みで、荷物の搬入など転院の手助けをしてくれました。

入院の手続きは平日のみの対応らしく、月曜日にまた来てくださいとのこと。迷惑をかけることになりましたが、半休を取ってもらい午後から再度病院に来てもらうことになりました。

当時コロナ禍のため、超音波検査や内診を受けると同時に、PCR検査を受けました。早くても結果が出るのに半日程度かかるとのことで、病室に案内される前に個室に運ばれました。

個室はめちゃくちゃ高い!数日の我慢だから大部屋にしよう。

コロナ陰性の結果が出てから、大部屋に案内されました。
大部屋に入るのも人生初。他に入院している人とどう関わったらいいのか?などいろんなことを気にしながらとりあえずベッドの周りに荷物を広げ、少しでも居心地の良い空間にしよう必死でした。

【激変!】大学病院での入院生活がスタート

クリニックでの居心地の良かった生活からは一変、私が入院した大学病院はイメージ通りのthe病院!という感じ。カーテンで区切られた6人部屋。当時はおそらく4人の妊婦さんがいらっしゃったと思います。

自分のスペースはというと殺風景なベッド周りに有料の冷蔵庫とテレビ。(クリニックではどちらも無料でした)

固いベッドと高すぎる枕。11月なのになぜか暑い部屋(暖房は入ってません)。もちろんトイレや洗面台も共有なので、他の人が使っている時間は待つしかありません。

もちろんみなさん起きているか寝ているかわからないので、生活音を出すことも躊躇しました。

当然気軽にベッドの上で電話もできなくなったので、電話するのも談話室で。でも談話室に移動するのも今の私にとっては良くない行動です。本当に必要な電話しかできませんでした。

この部屋の暗黙のルールでもあるのかな?と思い、初日は色々と様子を見ながら生活しました。
結局同部屋の人とでも話すことはほとんどなく、すれ違った際の挨拶程度でした。

当然ご飯もthe病院食!といった質素(すみません)なご飯でした。

クリニックでは食事の時間が楽しみで、毎回撮っていた写真。
ただ申し訳ないですが、この日以降テンションが上がることはなくなりました…
でも栄養のバランスはいいと思うんです。量も適量になりました。病院で食べる食事ってこんな感じだと思うんです。でも昨日まで食べていたメニューがここまで変わると、やっぱり食事って大事だな〜とか考えながら静かに食べていたことを思い出します。

消灯時間は22時。これはクリニックの時と同じでしたが、一人で部屋を使っていたため消灯時間なんてあってなかったようなもの。ドラマやニュースなどのテレビを見ながらを過ごしていましたが、大部屋に移ってからはおとなしく寝るしかありませんでした。

テレビは有料だとわざわざ見なくても過ごせましたし、イヤホンも持ってきていなかったので、見る機会はほとんどありませんでした。

まとめ

そんなこんなで始まった大学病院生活。ここまで環境がガラッと変われば、多少なりともストレスを感じました。それもあってか、転院してから3日後、ムスメは早々に生まれてくるのです。(ちょうど親が入院手続きをするため、半休を取ってくれていた日!グッドタイミング!)

ムスメを出産した時の記事はこちら。

【まさかの早産】あっという間にムスメ誕生①

【まさかの早産】あっという間にムスメ誕生②

【まさかの早産】あっという間にムスメ誕生③


コロナ禍で病院に受け入れてもらえるだけでも感謝すべきではありましたが、大学病院での出産は私にとってなかなかハードな経験となりました。

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